我妻榮(わがつま さかえ)先生は,民法の泰斗です。
法律の勉強をすれば,必ず耳にし,目に触れる学者。
我妻先生の民法の本は、奥が深く緻密です。
いまでも、税務訴訟の準備書面で引用することがあります。
我妻先生は1897年に生まれ,1973年に亡くなりました。
没後36年たった今日でも,「民法といえば我妻先生」です。
もっとも,現代社会で法律を学ぶ私たちは,
我妻先生が残された民法の体系書を読むことはあっても,
それ以上に,先生のお話を聴く機会はありません。
どのようなお人柄だったのかも,正直わかりません。
本書は,我妻先生の生前の講演録です。
発刊されたのは昭和30年(1955年)ですが,
平易な言葉でわかりやすく書かれているため,
とても読みやすく,親しみがもてます。
法律のことをわかりやすく書いた一般書的な本です。
我妻先生は,本書のなかで,法律家の任務は,
「常識と人情が法律論の一般的確実性を崩さずに通る
ようにすること」だといっています(52頁)。
法律の基本(とりわけ民法の目的)は,
「一般的確実性」と「具体的妥当性」の調和だといわれます。
誰にでも適用される一般的な法の枠組みは維持しながら,
実際の事案を具体的に解決するため妥当な解釈をする。
というような意味なのですが,我妻先生のこの説明を,
次のように,とても明快に述べられています。
「法律家は,とかく,理窟っぽいとか,融通がきかないとか,
杓子定規だとかいわれます。そのとおりだと思います(笑声)。
また,人情を理解しない,世の中のことを考えるのに,
人情がどうなろうといっこうにかまわない,法律の筋さえ
通せばよいと思っている,と批評されています。
それも本当だと思います。
しかし,よく検討してみますと,いくら法律家でも,理窟さえ
通ればよい,杓子定規でかまわない,と思っているものは
少ない。人情にもとるといわれると,多くの法律家は,
やはりどうも後ろめたいものを感ずる。なんとかして
理窟と人情を調和させたい,杓子定規に終始しないで,
人情味を加味したいという気持をもっています。
ただ,法律家が,人情を取り入れたいと思うときにも,
法律の筋を崩さずに,杓子定規の枠をはずさずに,
これをやりたいと考えるのです。
ここに法律家の特色がある。なぜでありましょうか。
それは法律には論理の筋を通さなければならない,
という要請があるからであります。」(4頁ー5頁)
同じように「法律の解釈」についても,こういっています。
「要するに,一般的確実性を崩さないで,しかも具体的
な場合にあたって,できるだけ人情に適した結論を
導きうるような解釈をすることだ,といっても決して過言
ではありません。」(29頁)
法律家が法解釈で行うべきポイント。
「一般的確実性」と「具体的妥当性」という難しい言葉。
法律の教科書では,この専門用語が使われます。
それを我妻先生は,誰にでもわかるようくだいています。
「理屈」と「人情」。
この2つの調和を図っていくことが法解釈です。
法律に興味がある方だけでなく,法律の専門家でも,
いろいろな発見がある本だと思います。
古い本ですが,東京駅オアゾ丸善ブックストアー1階に,
棚置き,平積みされており,購入することが可能です。
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